グリーフへの扉 ~体験談~

グリーフへの扉 ~体験談~

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とてもつらい体験。悲しい記憶。 こちらに書き込むことで、少し心が落ち着くかもしれません。 気持ちの整理ができるかもしれません。 また、同じような思いに触れ、癒されることがあるかもしれません。 誰かのため、ご自身のために、よかったらご利用ください。
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はじめまして 管理者です (女性)  URL

2012/12/10 (Mon) 00:57:29

はじめまして。このサイトを管理しています、勝田 朱美です。よろしくお願いします。
まず初めに、私のことを、少しお話します・・・。
24歳の時に、友人の紹介で、冠婚葬祭の会社でアルバイトを始めました。
その2年後に葬儀専門の仕事に就き、年間100件近くの葬家と直に接してきました。
その時目にしたこと、感じたことは、「家族の縁は死んでも終わらない。良くも悪くも。」

その頃の私は、家族と半ば断絶状態でした。
父親の精神的・肉体的DVと、それに耐え、少しずつ精神のバランスを崩していき、いつも暗く、私を責める母。
そんな二人との暮らしに耐え切れず、家を出たのです。

普通の仕事では考えられないくらい多くの「家族」と接し、その中にはうちと同じような機能不全家族と見受けられる葬家も多くありました。
20年以上一度も実家に帰らず、久方ぶりの出会いが別れの時。
機能不全家族では、そんな方が殆どでした。
そして、間違いなく全ての方が、大きな後悔をされています。
死別の時に、怒りを感じています。自分へのです。
「なんで帰らなかったんかなあ?こんなに辛くなるんやったら、会っとけばよかったんかなあ。もう、文句も言えんやん・・・」
そんな風に、涙を流しながら話してくれた男性もいました。
その時に、親を切り捨てても、自分自身が救われないのかもしれないと思い至り、再び自分なりに家族と接触するようになりました。
自分にはかけがえのない人生の気づきだったと思います。

また「ありがとう」と感謝される場面も多く、そんな仕事に感動を与えられる毎日であったが、一方で、まだまだタブー視されるようなときもあり、自分の中で折り合いのつかない日々でもありました。
その頃から、だんだん仕事をまかされるようになり、おもしろい時期でもありましたが、それとともに仕事量も増えてきました。朝は6時に家を出て、夜は10時を過ぎて帰宅するような毎日が続きました。
そして、仕事が多忙なまま30代を迎え、突然、心身の不調に襲われました。
情緒不安定なのか、前触れなく涙がでてきたり、不眠症気味なのと忙しさで常に睡眠不足のため、寝酒がかかせなくなり、いつのまにかその量が増えアルコール依存ともいえる状態になっていました。
その頃の漠然とした不安感。独身である自分にとって、今、身内が全員いなくなり、本当に一人になったら・・・それとも、このまま自分が死んでしまったらどうなる・・・?
そう思うとますます眠れなくなり、酒量が増え・・・。
今思えば、うつ状態だったのではないかと思います。

あの時の気持ちが、今の「すべての女性(主に独身女性)の親を見送る周辺にある様々な事柄へのサポート」の活動につながっています。

その後、主人と出会い34歳の時に結婚。2人の子宝にも恵まれ、今が一番人生で穏やかに過ごせています。子どもが生まれてからは、両親とも以前よりひんぱんに行き来するようになりました。相変わらずの両親ですが「相手は変えることはできないが、自分は変われる」の言葉を胸に、関係を保っています。

独身女性にとって、両親との別れは孤独(孤立)化することを意味します。
兄弟姉妹がいても家庭を持っていたり、遠方に住んでいたりすれば、あまり変わりません。
夫や子供がいる人は、支えとなりうるものがありますが、独身者は本当に一人になってしまうのです。精神的にも、経済的にも大変なことです。
そして死別からの癒しに向かうのに何より有効な、故人との思い出話などをする相手がいません。孤独や、不安感からうつ状態や、パニックになる方も大勢います。負のループに陥る前に食い止めないといけません。
「ひとり」になった女性や、いつかくる「その時」に不安を抱える女性の助けになりたい。寄り添いたい。そんな風に考えています。


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